ご無沙汰いたしております。
「私の邦楽初めて物語 其の壱」から早3ヶ月…私のこと、お忘れではありませんか?
さてその後、私はどれ程上達したのでしょうか?
イヤ上達というのはおこがましい、少しはお三味線に慣れたのでしょうか?
私の「それから物語」の始まりでございます。
初日から「松の緑」という曲でお稽古を始めてきた私たち…。
生まれて初めてお三味線を手にした私も、先生が一生懸命教えて下さったおかげにより、なんとか音が…それもキチンとしたお三味線の音を出すことができました。
曲は全部ではないにしろ、最初の部分はなんとか♪テテテンテンテンテンテンテン♪(お三味線の音を表すのには適切な表現ではないかもしれませんが…)とそれらしく弾くことができました。
私にとってはもう大感激!!
音が出せた…それも少しだけれど曲になって…足のシビレもなんのその?イヤ、これはこれで相当辛かったのですが。なんとか頑張る私がそこに…。あっという間の一時間半でした。
最初のお稽古が過ぎ私たちは「仕事に支障をきたさないのであれば、毎日少しでも稽古を…」という社長の暖かいお気持ちに深く感謝しつつ、自主トレ?ならぬ「皆で交代でお稽古」を始めました。
最初のお稽古日に先生が何度か「松の緑」の曲を弾いて下さったので、頭の中になんとなくでもメロディは残っています。
そこで、まず私たちは自分達が稽古をしているお三味線の棹の部分に譜尺(ふじゃくと読みます。洋楽でいうドレミのような感じ?の番号がふってあって、その部分をおさえれば、出したい音が多分?ひろえるという優れもの!)を貼り、譜本(ふほんと読みます。洋楽で言うなら楽譜ですね)を見ながら、自分だけでも稽古ができるようにしました。
そうすれば一人でもお稽古ができるからです。
しかしこれには思わぬ欠点がありました。
譜尺をよく見ようと思うあまり、ずっと棹の部分を目で追ってしまうことです。そうすると姿勢も、また弾き方もよくはありませんし、なにより、譜尺に頼ってしまい自分で覚えることがおろそかになりそうです。
先生も譜尺はある程度したら、そう自分たちでおさえる場所を把握してきたら「はがした方がよい」とのご指示。
本来なら先生の指の動きをじっと見て追うほうが、覚えるのには一番の早道なのだそうです。
棹を見ることも少なくかつ、姿勢も正しくいられるのですから…。
また、大事な基本である「バチの持ち方、弾き方」にも大きな変化が…。
というのは、少しでも弾けてくると「旨く弾きたい」「パシパシと心地よい音を出して弾きたい」という気持ちが先走ってしまい、持ち方がヘンになってきてしまう。またそれに気付かず、ずっとそのまま弾いてしまっているらしい。
気付くとバチ皮の端の方がめくれてきている!!
あきらかに「良くない証拠」である。
間違いなくバチの先でめくってしまっているのだ。キチンとした持ち方で弾いていれば、こんなことは絶対にない!
これが「クセ」となってしまわない前に直さなければいけない。一度ついてしまったクセは中々直らないから気をつけるよう先生に言われていたからだ。
今度はそのバチの持ち方がとても気になり、うまく三味線の糸を弾くことができない。
改めて三味線の難しさに直面しました。でも、音がちゃんと出るとやっぱり嬉しい。少しでも弾けると嬉しい。
先生はこうおっしゃいました。「ストレスを感じないように練習してね」と。
弾かなきゃ弾かなきゃ…ではなくて、無理をしないように、義務感とかではなく、自分で楽しんで三味線を続けて下さいねと。
お稽古に参加させて頂いている私を含めた仲間達は、今、お三味線が楽しくて仕方がない。
楽しい?あっ、面白いといった方が正しいかもしれません。
人が練習しているのを聞いて、「あっ、音が違っている」とか「あー惜しい、後少しで完璧だったのに」とか、人様の弾くのを聞きながら自分も口ずさんだりと(あっっ、仕事はキチンとしていますよぉ…念の為)まるでいっぱしの練習生になった気分で評論したり、指の確認をしあったりと和やかな雰囲気です。
自由自在に操るまでにはまだまだですが、少しずつでも曲が進んでいける毎日がとても楽しい。
きっとみんなも密かに「もしかして、自分の方が上手??かしら?」などと考えたりしていることも要因の一つだとは思います。(あっ、私はとてもそんな事を考えている程厚かましくはありませんヨォ)
こんな雰囲気の中、少しでも上達しようとお稽古に励んでいる私たちです。
次回はもっと上達した私たちのお話しをさせてもらえることを願いつつ…
長々とご拝読、まことに有り難う存じました。